2022年05月25日

ナポレオン戦争【基礎のまとめ】

ヨーロッパ諸国の革命への干渉
1792年、前年にフランス革命に干渉してきたオーストリアやプロイセンとの戦いが始まり、志願した義勇軍が参加したヴァルミーの戦いはフランスが勝利した。
義勇軍が歌った『ラ・マルセイエーズ』は、後にフランスの国歌となった。
1793年、ルイ16世が処刑されると、イギリスが呼びかけて第1回対フランス大同盟が結成された。
同年、フランスはジャコバン派のもとで公安委員会が徴兵制を実施しした。
1796年、総裁政府はナポレオン=ボナパルトを起用してイタリア遠征を行ない、翌年に第1回対フランス大同盟を打破した。

統領政府(とうりょうせいふ)
1799年~1804年
ナポレオン=ボナパルトがブリュメール18日のクーデタで樹立した。
総裁政府が倒され、3人の統領が治めることとなった。
実質的には第一統領となったナポレオンの独裁だった。

ナポレオン=ボナパルト
1769年~1821年
コルシカ島の出身で、革命軍で戦った。
1796年から翌年にイタリア遠征、1798年から翌年にエジプト遠征の司令官となった。
エジプト遠征の最中でフランスに戻り、ブリュメール18日のクーデタを起こして第一統領となって政権を取った。
1802年、アミアンの和約でイギリスと講和して第2回対フランス大同盟(1799年~1802年)を終わらせ、終身統領となった。
1804年、国民投票で皇帝となり、第一帝政を始めた。

フランス民法典(フランスみんぽうてん)
1804年、皇帝になる前のナポレオンが制定。
自由や平等、私有財産の不可侵など近代市民法を体現したが、家父長制で女性の地位は低かった。
ヨーロッパ諸国や日本の民法に影響を与えた。
ナポレオン法典などともいうようになった。

第一帝政(だいいちていせい)
1804年~1814年・1815年
ナポレオン=ボナパルトがナポレオン1世として皇帝となり、退位するまで。
フランスの第一共和政と復古王政の間になる。
1805年、トラファルガー海戦でイギリスに敗れたが、アウステルリッツの戦い(三帝会戦)でロシアとオーストリアに勝利した。
神聖ローマ帝国を解体し、スペイン、オランダ、イタリアの王としてナポレオン1世の一族を送り込むなどして、ヨーロッパの大部分を支配した。
解放戦争でフランスが敗れて崩壊、百日天下で一時復活したがワーテルローの戦いに敗れて終わった。

大陸封鎖令(たいりくふうされい)
1806年にナポレオン1世が出した。
イギリスに打撃を与えるために、大陸側の国にイギリスとの貿易などを禁じた。
効果は限定的で、大陸諸国の不満も高まった。

ドイツ国民に告ぐ(ドイツこくみんにつぐ)」
1807年~1808年
ドイツの哲学者のフィヒテが行なった講演。
フランス軍が占領していたドイツのベルリンで、14回に渡って続けられた。
ナポレオン1世に対抗するため、ドイツ人の国民意識を高揚させた。

ロシア遠征
1812年、ナポレオン1世がロシアを制裁するために行なった遠征。
ロシアは大陸封鎖令を破って、イギリスとの貿易を再開していた。
一時はモスクワを占領したが、フランス側が大敗した。

解放戦争(かいほうせんそう)
1813年~1814年
ナポレオン1世がヨーロッパ諸国と戦い敗れた一連の戦争。
ロシア遠征の失敗により、第4回対フランス大同盟が結成された。
1813年、ライプチヒの戦い(諸国民戦争)でプロイセン、オーストリア、ロシアがフランスに勝利した。
1814年、パリが陥落し、ナポレオン1世は退位して地中海のエルバ島に流された。

ワーテルローの戦い
ナポレオン1世が最後に敗れた戦い。
1815年、エルバ島を脱出したナポレオン1世が復位して一時的に返り咲いていた(百日天下)。
イギリスのウエリントンが率いる連合軍が勝利し、ナポレオン1世は再び退位して大西洋のセントヘレナ島に流された。
posted by 歴史教育研究 at 07:30| まとめ 19世紀のヨーロッパとアメリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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