2022年11月24日

19世紀中頃のイギリス【基礎のまとめ】

パクス=ブリタニカ
ヴィクトリア女王の治世のヴィクトリア期を中心に、ナポレオン戦争の後から第一次世界大戦のころまでのイギリスのことをいう。
「イギリスの平和」の意味。
19世紀頃のイギリスが経済力や軍事力で圧倒し、広大な植民地を形成した時期になる。

穀物法(こくもつほう)
イギリスの農業を保護するために穀物の輸入を制限した法律。
ナポレオン戦争直後の1815年のものが有名。
ナポレオンによる大陸封鎖令が廃止されたことで、安価な穀物がイギリスに大量に入ってくるのを防ごうとした。
農業に関わる地主階級が導入を進めたが、商工業者は廃止を求め対立した。
1839年、自由貿易を掲げるコブデンやブライトらによって反穀物法同盟が結成された。
凶作やアイルランド飢饉があり、1846年に保守党のピール内閣によって穀物法は廃止された。

チャーチスト運動
イギリスの普通選挙権獲得のための運動。
1830年代後半から1840年代後半まで続いた。
1832年の第一回選挙法改正を不十分として、1837年に起草された人民憲章が翌年に発表された。
チャーチストは憲章主義者という意味。
このときの運動は成果をあげることができずに終わった。
1867年の第二回選挙法改正で有権者が倍増となり、1884年の第三回選挙法改正ではほとんどの成人男性が選挙権を得た。

保守党(ほしゅとう)
イギリスの政党で、前身はトーリ党
第一回選挙法改正の後に保守党となった。
穀物法を巡って分裂したがディズレーリによって再建された。
18世紀後半にはディズレーリが2度に渡って首相となった。
現在まで二大政党制の一方となっている。

自由党(じゆうとう)
イギリスの政党で、前身はホイッグ党
19世紀中頃までに自由党となり、二大政党制の一方となっていた。
1868年から1894年までに四度首相となったグラッドストンのときが全盛期。
第一次世界大戦後に第3党に転落してからは、長く政権に就くことがなかった。
後に社会民主党の一部とともに自由民主党になった。

ロンドン万国博覧会(ロンドンばんこくはくらんかい)
1851年、イギリスのロンドンで開かれた万国博覧会万博)。
第一回の万博で、最初の本格的な国際博覧会。
産業革命の成果などが展示された。
水晶宮(クリスタルパレス)が会場として建てられた。

アイルランド問題
17世紀にクロムウェルが征服してから、カトリックのアイルランド人は宗教や政治など様々な面で差別されていた。
1801年、イギリスはアイルランド併合を実施し、大ブリテン=アイルランド連合王国となった。
1840年代にはジャガイモ飢饉が起き、多くのアイルランド人が餓死したり他国に移住した。
アイルランド人は権利の獲得を求めて運動し、イギリスの自由党はアイルランド寄りの政策を打ち出していた。
一部は解決しましたがアイルランド自治法案は成立せず、問題は長く残り続けた。
posted by 歴史教育研究 at 13:47| まとめ 19世紀のヨーロッパとアメリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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