2022年12月27日

クリミア戦争とロシアの近代化【基礎のまとめ】

南下政策(なんかせいさく)
17世紀末以来、ロシア帝国が南方に進出するために取った政策。
不凍港を獲得することを目的としており、特に黒海やバルカン半島への勢力拡大を目指した。
オスマン帝国と幾度も戦ったが、1878年のベルリン会議で阻止された。

クリミア戦争
1853年~1856年
黒海のクリミア半島あたりであった戦争。
ロシア皇帝のニコライ1世がギリシア正教徒保護を名目にオスマン帝国に攻め込んだ。
ロシアを警戒したイギリスとフランスがオスマン帝国側として参戦した。
ロシアが劣勢となって講和し、パリ条約が結ばれた。

セヴァストーポリ
クリミア半島にある港湾都市。
黒海に面する要所で、セヴァストーポリ要塞がある。
クリミア戦争などで激戦地となった。

パリ条約
クリミア戦争の講和条約。
1856年、ロシアとオスマン帝国の間で結ばれた。
オスマン帝国の領土保全などが定められた。
黒海の中立化も決められ、ロシアは黒海沿岸に軍事基地を持てず、軍艦の航行も禁止された。

アレクサンドル2世
1818年~1881年
在位:1855年~1881年
ニコライ1世の子で、父の死後にロシア皇帝となった。
クリミア戦争を終わらせ、ロシアの近代化を進めるために農奴解放令など「上からの改革」とされる大改革を断行した。
1873年にはドイツやオーストリアと三帝同盟を結び、1877年からの露土戦争に勝利した。
一方でポーランドでは反乱が起き、反動的な政策に反対するナロードニキ(人民主義者)のテロリズムによって暗殺された。

農奴解放令(のうどかいほうれい)
1861年、アレクサンドル2世が出した勅令。
クリミア戦争に敗れ、ロシアの近代化を本格的に進めるために出された。
ロシアの農奴は身分的な自由を得た。
一方で土地を得るのは有償だったため、支払うまではミール(地縁的共同体)に縛られ続けた。

露土戦争(ろとせんそう)(ロシア=トルコ戦争)
ロシアとオスマン帝国(トルコ)との戦争。
特に1877年から1878年のものをいう。
ロシアが勝利し、1878年にロシアに有利なサン=ステファノ条約が結ばれた。
しかし、同年にオーストリアやイギリスの意を酌んだドイツが介入してベルリン会議を開き、新たなベルリン条約によってロシアの南下政策は失敗した。
posted by 歴史教育研究 at 17:51| まとめ 19世紀のヨーロッパとアメリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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