2023年01月10日

イタリアの統一【基礎のまとめ】

サルデーニャ王国
サルデーニャ島とイタリア北部にあった国。
サヴォイア家によって、1720年に成立。
首都はトリノ。
1861年にイタリアを統一して、イタリア王国となった。

青年イタリア
イタリアの統一を目指した共和主義者の結社。
1831年、マッツィーニがフランスのマルセイユで設立した。
何度か蜂起をしようとしたが失敗し、1848年に解散した。

ガリバルディ
1807年~1882年
1834年、青年イタリアの蜂起に加わったが失敗して南米に亡命。
1849年、ローマ教皇領にできたローマ共和国の防衛に参加したが敗れてまた南米に亡命した。
1859年にイタリア統一に参戦、翌年からは独自に赤シャツ千人隊を率いてイタリア南部を征服した。
征服地をヴィットーリオ=エマヌエーレ2世に献上という形で譲った。

ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世
1820年~1878年
在位(サルデーニャ国王):1849年~1861年
在位(イタリア国王):1861年~1878年
サルデーニャ国王となって、イタリア統一戦争を進めた。
イタリア王国の成立とともに初代国王となった。

カヴール
1820年~1861年
イタリアの貴族で、立憲主義と統一のためのオーストリアとの戦争を主張した。
1852年にヴィットーリオ=エマヌエーレ2世に登用されて首相となった。
近代化を進め、フランスの支援を得てイタリア統一に成功した。

イタリア統一戦争
1859年にサルデーニャ王国とオーストリアの間であった戦争。
オーストリアの影響下にあったイタリア北部を巡って争った。
フランスのナポレオン3世はニースサヴォアの割譲を条件にサルデーニャ王国側となる密約を結んでいた。
フランスはイタリアの強大化を恐れてオーストリアと早期に講和したが、サルデーニャ王国は勝利してロンバルディアを得た。

両シチリア王国(りょうシチリアおうこく)
イタリア南部とシチリア島を領有していた国。
12世紀からシチリア王国としてあったが、一時期と1816年からは両シチリア王国の名称を使用した。
1860年にガリバルディの赤シャツ千人隊に征服され、翌年にイタリア王国に併合された。

ローマ教皇領
カトリックのローマ教皇の領土。
756年、フランク王国のピピンの寄進によって成立。
1870年にイタリア王国に占領され併合された。

イタリア王国
1861年~1946年
サルデーニャ王国を中心にヴィットーリオ=エマヌエーレ2世が初代国王となって成立。
イタリア半島の大部分を統一して、トリノ、次いでフィレンツェを首都とした。
1866年、普墺戦争(プロイセン=オーストリア戦争)に参戦し、オーストリアからヴェネツィアを得た。
1870年にはローマ教皇領を併合し、翌年にはローマを首都とした。
第二次世界大戦で敗れて、共和制となった。

未回収のイタリア
イタリア北東部の南チロルトリエステの辺りのこと。
1870年からもオーストリアの支配下にあったため、イタリア側の呼称としてあった。
イタリアとオーストリアはドイツとともに三国同盟を結ぶこととなったが、「未回収のイタリア」を巡って対立は続いていた。
第一次世界大戦でイタリアがオーストリアと戦う一因となった。
posted by 歴史教育研究 at 01:07| まとめ 19世紀のヨーロッパとアメリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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