1797年~1888年
在位(プロイセン王):1861年~1888年
在位(ドイツ皇帝):1871年~1888年
ビスマルクを登用して、プロイセンを中心にしたドイツ統一を進めた。
ドイツ帝国の成立とともに初代皇帝となった。
ビスマルク
1815年~1898年
ユンカーの出身で、1862年にプロイセンの首相となった。
鉄血政策(てっけつせいさく)といわれた軍備拡張を進め、デンマーク戦争、普墺戦争(プロイセン=オーストリア戦争)、普仏戦争(プロイセン=フランス戦争)を勝利に導いた。
ドイツの統一を成し遂げ、1871年にドイツ帝国の初代宰相となった。
社会主義者を弾圧する一方で、社会保険制度を整備した。
ヨーロッパでの外交を主導してビスマルク外交といわれ、ビスクマルク体制を築いた。
1890年に辞職。
シュレスヴィヒ・ホルシュタイン問題
シュレスヴィヒとホルシュタインはユトランド半島の基部にあり、どちらも公国となっていてデンマークと同君連合を形成していた。
シュレスヴィヒはデーン人が多くホルシュタインはドイツ人が多かったが、その帰属を巡ってデンマークとプロイセンの争いに発展した。
1864年には両国によるデンマーク戦争が起き、オーストリアがプロイセン側として参戦した。
この戦争に勝利したプロイセンとオーストリアが両地域を管理することとなった。
普墺戦争(ふおうせんそう)(プロイセン=オーストリア戦争)
1866年にプロイセンとオーストリアの間であった戦争。
ドイツ統一の主導権、デンマーク戦争後のシュレスヴィヒ・ホルシュタインを巡って争った。
ビスマルクはフランスに中立を守らせ、イタリアをプロイセン側に引き込んだ。
プロイセンが勝利し、プロイセン中心のドイツ統一が進められることとなった。
北ドイツ連邦
1867年~1871年
プロイセンを中心にした北部ドイツ諸国の連邦。
普墺戦争の後、オーストリアと南ドイツ諸国を除いて組織された。
プロイセン王が連邦の外交と軍事を担った。
プロイセンによるドイツ統一の足掛かりとなった。
ドイツ帝国の成立により、発展的に解消。
オーストリア=ハンガリー帝国
1867年~1918年
オーストリア皇帝がハンガリー国王を兼ねた同君連合。
普墺戦争で敗れたオーストリアはドイツ統一から除外されていた。
オーストリアの支配下にあったスラブ系の諸民族による反発を受ける一方で、ハンガリーの支配層であるマジャール人によるハンガリーの自治を認めた。
このアウグスライヒ(妥協)を結ぶことで、オーストリアとハンガリーは二重帝国となった。
第一次世界大戦に敗れて崩壊した。
普仏戦争(ふふつせんそう)(プロイセン=フランス戦争)
1870年~1871年
プロイセンなどドイツの諸領邦とフランスの間であった戦争。
フランスはプロイセンによるドイツの統一に懸念があり、さらにスペイン国王の選出を巡って対立があった。
ビスマルクの挑発によってフランス皇帝のナポレオン3世がプロイセンに宣戦布告した。
プロイセンが優勢に戦いを進め、ナポレオン3世がスダン(セダン)で捕らえられたことでフランス第二帝政は終了した。
1871年、パリ包囲中にヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国の成立が宣言された。
フランスが降伏し、アルザスとロレーヌがドイツ領となった。
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