2024年11月10日

イギリスのインド進出【基礎のまとめ】

ムガル帝国
1526年~1858年
インドにあったイスラーム教のスンナ派の国。
17世紀前半の第5代皇帝シャー=ジャハーンのころまでは安定していた。
17世紀後半、第6代皇帝のアウラングゼーブによってジズヤが復活され、ヒンドゥー教徒やシク教徒による反乱が起こるようになって衰退しはじめた。
アウラングゼーブの死後は諸侯の自立傾向が強まって分裂し、イギリスやフランスが進出するようになった。
1858年、イギリスに滅ぼされて植民地となった。

イギリス東インド会社
東アジアやインドなどで活動したイギリスの貿易会社。
1600年にエリザベス1世の勅許を得て設立された。
中国やインドとの貿易を独占し、インドの植民地化を進めた。
国内で貿易自由化の声が強まり、1813年にインドでの貿易独占権を失った。
1833年に商業活動が停止されることとなり、インドを統治する機関となった。
1858年に解散させられた。

プラッシーの戦い
1757年にインドのベンガル地方で行われた戦い。
アウラングゼーブの死後、インドで勢力を伸ばしたイギリスとフランスによる3度のカーナティック戦争が起こっていた。
1756年にはヨーロッパで七年戦争が始まり、インドではイギリス東インド会社とフランスが支援するベンガル太守が対立し戦闘に発展していた。
クライヴ率いるイギリス東インド会社軍はプラッシーでベンガル太守軍を破り、ベンガル太守を討ち取った。
戦後にイギリス東インド会社は傀儡の太守を擁立し、ベンガル地方を支配するようになった。

ディーワーニー
ムガル帝国における地方の徴税権。
地方の財政などを担当したディーワーンの権限のこと。
1765年、バクサルの戦いに敗れたムガル帝国はイギリス東インド会社にベンガル地方の徴税権を渡した。
その後も徴税する地域を増やして、イギリスによるインド支配を進めた。

マイソール王国
南インドのカルナータカ地方にあった国。
ビジャヤナガル王国のなかから、1610年にヒンドゥー教の国として成立。
1760年頃からハイダル=アリーが実権を握り、スルタンを称してイスラム化を進めた。
ハイダル=アリーは南インドに勢力を広げたが、マイソール戦争の最中に死去した。
その子のティプー=スルタンが跡を継いだが、1799年にマイソール戦争でイギリス東インド会社軍に敗れて戦死した。
再びヒンドゥー教の国となって、イギリスに従属する藩王国となった。

マラーター同盟
1708年~1818年
マラーター王国を中心とした連合体。
デカン高原の諸侯が集まって結成され、北インドや南インドの一部にも進出した。
ムガル帝国に対抗する一大勢力となり、イギリス東インド会社とも争うようになった。
マイソール戦争ではイギリスと結ぶこともあったが、マラーター戦争でイギリスに敗れて崩壊した。

マイソール戦争
1767年~1769年、1780年~1784年、1790年~1792年、1799年
南インドのマイソール王国とイギリス東インド会社の間で行われた戦争。
四度に渡る戦争で、マラーター同盟やニザーム王国、フランスも関与した。
マイソール王国はハイダル=アリーとティプー=スルタン父子が率い、近代化した軍や国際情勢もあって始めは善戦した。
フランスはイギリスに対抗するためにマイソール王国を支援していたが、アメリカ独立戦争が終わってパリ条約を結んだり、フランス革命が起きるなどして関わりが減っていった。
さらにイギリス側はマラーター同盟やニザーム王国と結ぶようになり、第三次マイソール戦争からはマイソール王国は劣勢となった。
1799年、ティプー=スルタンが敗死すると、マイソール王国はイギリスに従属した。
結果、イギリスの南インド支配が進んだ。

マラーター戦争
1775年~1782年、1803年~1805年、1817年~1818年
マラーター同盟とイギリス東インド会社の間で行われた戦争。
三度に渡った。
マラーター同盟の内部で宰相の後継を巡る争いが起こり、イギリスがそれに介入して始まった。
第一次マラーター戦争はアメリカ独立戦争の時期、第二次マラーター戦争はナポレオン戦争の時期でもあり、フランスが影響を与えた。
第三次マラーター戦争で敗れたマラーター同盟は崩壊し、マラーターの諸侯はイギリスに従属して藩王国となった。
イギリスによるインド中西部への支配が進んだ。

シク王国
インド北西部のパンジャーブ地方にあった国。
1799年、ランジト=シングがシク教の国として建国した。
1839年、ランジト=シングが死去すると後継争いが起こった。
1849年、シク戦争でイギリスに敗れて滅んだ。

シク戦争
1845年~1846年、1848年~1849年
シク王国とイギリス東インド会社の間で行われた戦争。
後継争いで分裂しているシク王国に対してイギリスが挑発して始まった。
約束を破って各地を併合していたイギリスに対して、シク王国は不信感を抱いていた。
シク王国は結束できず、二度の戦争に敗れた。
これにより、イギリスがインド全域を支配するようになった。

シパーヒー
兵士の意味で、インド人傭兵のこと。
イギリス東インド会社などに雇われていた。
ヨーロッパ風の軍隊となっていた。
英語ではセポイという。

インド大反乱
1857年~1859年
インドの各地でイギリスに対して起こった大規模な反乱。
イギリスによる相次ぐ藩王国の併合、農村の変革、安価なイギリス製品による工業の崩壊などが要因となった。
デリー近郊のメーラトにいたイギリス東インド会社のシパーヒーによる反乱で始まった。
シパーヒーはデリー城を占拠し、ムガル皇帝を擁立した。
各地のシパーヒーだけではなく、旧勢力や農民たちも反乱に加わった。
1858年、イギリスがほとんどを鎮圧し、ムガル皇帝は捕えられてムガル帝国は滅亡した。
同年、イギリス東インド会社は反乱が起こった責任を問われて解散させられることとなり、イギリス政府がインドを直接統治するようになった。
1859年には完全に鎮圧された。
シパーヒーの反乱(セポイの反乱)ともいう。
インド側の視点ではイギリスに対する独立戦争の始まりとされている。

インド帝国
1858年、イギリスはインド大反乱(シパーヒーの反乱)の最中にインドを直接統治するようになった。
イギリス政府はインド省を設置し、副王と称されたインド総督が置かれた。
イギリス直轄地の他に、間接支配となる藩王国も多数あった。
1877年、イギリス女王のヴィクトリア女王インド皇帝となった。
1947年まで、イギリス国王がインド皇帝となった。
posted by 歴史教育研究 at 18:00| まとめ ヨーロッパのアジア進出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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