2025年04月16日

アロー戦争と太平天国の乱【基礎のまとめ】

洪秀全(こうしゅうぜん)
1813年~1864年
清の広東省の出身。
拝上帝会を組織し、太平天国を始めた。
太平天国の乱の最中に病死した。

拝上帝会(はいじょうていかい)
洪秀全によって設立された宗教団体。
キリスト教的な宗教で、上帝を唯一の神とした。
太平天国の母体となった。

太平天国の乱(たいへいてんごくのらん)
1851年~1864年
洪秀全が指導者となって起こした農民反乱。
1853年、南京を占領し、天京と名を改めて太平天国の首都とした。
滅満興漢(めつまんこうかん)」をスローガンに、漢民族による国を復興させて満州族の清を打倒しようとした。
纏足(てんそく)や満州族の風習だった辮髪(べんぱつ)を廃止した。
天朝田畝制度(てんちょうでんぽせいど)により、男女の区別をせずに土地を均分しようとした。
内紛で弱体化し、アロー戦争の後に鎮圧された。

アロー号事件
1856年にイギリスと清の間で起きた事件。
広州で清側がアロー号の水夫を海賊だとして逮捕したことで始まった。
イギリスはアロー号が自国の船だと言いがかりをつけ、またイギリス国旗を引きずりおろしたとして抗議した。

アロー戦争(第二次アヘン戦争)
1856年~1860年
イギリスとフランスが清を攻撃した戦争。
清への輸出増加や条約の改定を目的とし、アロー号事件とフランス人宣教師殺害事件を口実として始めた。
1858年に広州を占領され天津を攻められた清は各国と天津条約を結んだ。
翌年に清が条約批准のために訪れた全権を攻撃したため、戦争が再開した。
1860年、英仏両軍は北京を占領して、離宮である円明園(えんめいえん)を破壊した。
新たな講和条約として北京条約が結ばれた。

天津条約(てんしんじょうやく)
1858年、アロー戦争のときの条約。(他にも複数の天津条約がある。)
清がロシア、アメリカ、イギリス、フランスと結んだ。
以下の内容などが定められた。
・中国北部や長江沿岸など開港場の増加。
・外国公使の北京駐在。(北京政府との直接交渉が可能。)
・外国人の内地旅行の自由。
・キリスト教布教の自由。

アイグン条約
ロシアと清の間の条約。
1858年、アロー戦争の最中にアイグン(黒河)で締結された。
極東での両国の国境を定めた。
黒竜江アムール川)の左岸はロシア領、ウスリー川以東の沿海州(えんかいしゅう)は共同管理地とした。
東シベリア総督のムラヴィヨフが清に圧力をかけてロシアに有利にしようとした。

北京条約(ぺきんじょうやく)
イギリス、フランス両国と清の間の条約。
1860年、アロー戦争の講和条約としてロシアの斡旋で結ばれた。
天津条約よりも賠償金を増額し、天津の開港を追加した。
さらに香港島対岸の九竜半島南部をイギリスに割譲した。
このときにロシアとも北京条約を結んでおり、アイグン条約で共同管理地とされていたウスリー川以東の沿海州をロシア領とした。

郷勇(きょうゆう)
清の正規軍を補うための義勇軍。
白蓮教徒の乱や太平天国の乱などで戦った。
太平天国の乱では湘軍(しょうぐん)や淮軍(わいぐん)が清側の主力となっていった。

曽国藩(そうこくはん)
1811年~1872年
清末の政治家で学者。
1853年、郷勇の湘軍を組織して太平天国と戦った。
1864年には天京(南京)を陥落した。
洋務運動を推進した一人。

李鴻章(りこうしょう)
1823年~1901年
清末の政治家。
曽国藩のもとで淮軍を組織して太平天国の乱と戦った。
洋務運動を主導し、北洋大臣となって北洋海軍を組織した。
清の外交や軍事などを担うようになったが、日清戦争に敗れると下関条約を結んだのちに失脚した。
外交面ではその後も活動し、義和団事件のときの北京議定書などの交渉をした。

常勝軍(じょうしょうぐん)
太平天国と戦うために欧米人が指揮した義勇軍。
1860年、アメリカ人のウォードが上海の商人らの要請によって欧米人による洋槍隊を組織した。
翌年には中国人も加えた。
1862年に常勝軍と改名したが、この年にウォードは戦死した。
1863年からはイギリス人のゴードンが指揮した。
posted by 歴史教育研究 at 08:13| まとめ ヨーロッパのアジア進出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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