王道(徳で治めること)を尊ぶこと。
儒教で重視され、武力で支配する覇道をしりぞける斥覇と結びつけて尊王斥覇といった。
江戸時代に朱子学の大義名分論の影響を受けて、天皇の権威により国が治まることを王道とする尊王論が広がった。
江戸時代後期には国学からも尊王論が唱えられるようになった。
攘夷(じょうい)
外敵を追い払うこと。
儒教の華夷思想によるもので、自らを中華とし、周辺の夷狄の侵入を防ぐことをいった。
江戸時代後期に欧米諸国をその脅威から夷狄とみなして、排外思想としての攘夷論が盛んになっていった。
国学や神国思想とも結びついた。
水戸藩(みとはん)
茨城県にあった藩。
徳川家康の子孫が藩主で、御三家の一つ。
17世紀後半には2代藩主の徳川光圀(とくがわみつくに)によって、歴史書『大日本史』の編纂が始まった。
幕末には徳川斉昭が攘夷を訴えた。
水戸学(みとがく)
水戸藩で形成された学風。
前期水戸学は『大日本史』の編纂とともに始まり、朱子学の大義名分論による尊王論が唱えられた。
後期水戸学は会沢安(会沢正志斎)らが尊王攘夷論を唱え、幕末の尊王攘夷運動に影響を与えた。
文化の撫恤令(ぶんかのぶじゅつれい)
1806年に出された薪水給与令。
日本に来た外国船に燃料の薪や飲料水などを与えることを認めた。
文化はこのときの元号(年号)。
フェートン号事件
1808年にイギリスの軍艦フェートン号が長崎港に侵入した事件。
ヨーロッパではナポレオン戦争の最中で、イギリスはフランスのナポレオン1世と敵対していた。
このころオランダはフランスの支配下にあり、イギリスは長崎のオランダ船を襲おうとしていた。
フェートン号はオランダ商館員を人質に取って薪水を要求するなどした。
日本側は抵抗することができずに要求を飲んだ。
異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)
清とオランダ以外の外国船を撃退することを定めた法令。
フェートン号事件の後もイギリス船による乱暴などが続き、幕府が1825年に出した。
無二念打払令(むにねんうちはらいれい)ともいう。(無二念は考えること無くということ。)
1837年には日本人漂流民を送還して通商を求めた米国のモリソン号を打ち払ったモリソン号事件が起きた。
会沢安(あいざわやすし)
1782年~1863年
会沢正志斎(あいざわせいしさい)ともいう。
水戸学の学者。
水戸藩で徳川斉昭を藩主として擁立した。
1825年、『新論』を著して、尊王攘夷論や国体(天皇を中心とする体制)を説いた。
尊王攘夷論
尊王論と攘夷論を結び付けたもの。
尊王攘夷はもともとは、中国の周王室を尊んで、夷狄を討伐することをいった。
中国の南宋のときに朱子学に取り入れられた。
日本では会沢安(会沢正志斎)らによって水戸学で理論化された。
全国に広がり、幕末には尊王攘夷運動が激化した。
高島秋帆(たかしましゅうはん)
1798年~1866年
幕末の砲術家。
オランダ人に蘭学、兵学、砲術を学び、高島流砲術を創始した。
中国でアヘン戦争が起こると幕府に危機を訴え、1841年に江戸近くの徳丸原で洋式銃陣の演習を実施した。
天保の薪水給与令
1842年に出された薪水給与令。
天保の改革のときのもの。
清が敗れたアヘン戦争の情報などを得て、幕府は危機感を持っていた。
異国船打払令を緩和することとなった。
オランダ国王の開国勧告
オランダ国王のウィレム2世が江戸幕府の12代将軍徳川家慶に対して出した勧告。
1844年、長崎で幕府側に渡された。
日本が鎖国をやめて開国し、通商を始めることを促した。
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