2022年03月01日

古代・中世の日本【基礎のまとめ】

弥生時代
この頃の日本列島のあたりは中国で倭(わ)と呼ばれていた。
前1世紀頃から中国の漢に朝貢していた。
57年には奴国が後漢に朝貢し、冊封された。
239年には邪馬台国(やまたいこく)の卑弥呼(ひみこ)が三国時代の魏(ぎ)に朝貢した。
卑弥呼は魏によって親魏倭王(しんぎわおう)に冊封された。

古墳時代
3世紀中頃にはヤマト政権(ヤマト王権)が成立していた。
5世紀には倭の五王(わのごおう)が中国の南朝に朝貢し、冊封されていた。

飛鳥時代
6世紀末から8世紀初にかけて律令国家が形成されていった。
推古天皇(すいこてんのう)のときの7世紀初には何度か中国の隋に遣隋使(けんずいし)が派遣された。
このときから室町時代まで、中国への朝貢をしても冊封を求めなくなった。
舒明天皇(じょめいてんのう)のときの630年には唐への遣唐使(けんとうし)が始まった。
7世紀末の天武天皇(てんむてんのう)・持統天皇(じとうてんのう)のころには律令が編纂され、天皇号や日本という国号が使用されるようになったとされる。

奈良時代
710年、元明天皇(げんめいてんのう)のときに平城京に遷都した。
701年に制定されていた大宝律令、757年に施行された養老律令に基づいた律令国家となっていた。
遣唐使が積極的に派遣され、聖武天皇(しょうむてんのう)の遺品などを納めた正倉院(しょうそういん)には中国やササン朝ペルシアなどからもたらされたものがある。

平安時代
桓武天皇(かんむてんのう)が784年の長岡京への遷都に続いて、794年に平安京に遷都した。
9世紀の前半までは遣唐使が派遣されていたが、894年に菅原道真(すがわらのみちざね)の建議で停止された。
使節の派遣はなくなったが唐との交易は続けられ、平安時代後期には宋との間に日宋貿易(にっそうぼうえき)がなされ宋銭などがもたらされた。

鎌倉時代
1185年、平家が滅ぼされ、源頼朝(みなもとのよりとも)によって鎌倉幕府(かまくらばくふ)が開かれた。
13世紀後半には元寇(げんこう)ともいわれる、2度の蒙古襲来(もうこしゅうらい)があった。
元のフビライは、征服した朝鮮半島の高麗の軍とともに日本に侵攻したが失敗した。

南北朝・室町時代
1333年に鎌倉幕府が滅びた後、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は建武の新政を経て吉野に逃れて南朝を建てた。
京都に北朝を建てた足利尊氏(あしかがたかうじ)は、1336年に室町幕府(むろまちばくふ)を開いた。
1392年、第3代将軍の足利義満(あしかがよしみつ)が南北朝を合一することに成功した。
15世紀初、足利義満は倭寇(わこう)を取り締まることで中国の明から日本国王に冊封され、勘合貿易(かんごうぼうえき)を始めた。
posted by 歴史教育研究 at 18:54| まとめ 近代化する前の日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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