2022年04月14日

重商主義と産業革命の始まり【基礎のまとめ】

奴隷貿易(どれいぼうえき)
ヨーロッパ人がアフリカ大陸で得た黒人奴隷をアメリカ大陸などへ売っていた。
16世紀から大航海時代を主導したスペインやポルトガルが行ない、18世紀にはイギリスやフランスが中心となっていった。
19世紀になって禁止された。

三角貿易(さんかくぼうえき)
大西洋を渡って、ヨーロッパとアフリカ大陸、アメリカ大陸の3地域で行なわれた貿易。
17世紀から18世紀にイギリスなどが行なって利益を得ていた。
西ヨーロッパからアフリカ大陸西部には武器や雑貨が輸出され、そこで得た黒人奴隷を奴隷貿易で南北アメリカに送り、南北アメリカで黒人奴隷を働かせて得た綿花や砂糖を西ヨーロッパに輸出した。
2地域だけの貿易では収支を均衡させるには多い方の貿易量を減らす必要があったが、3地域で回すことで収支を均衡させたまま貿易量を増やすことができた。

重商主義(じゅうしょうしゅぎ)
16世から18世紀のヨーロッパで取られた経済政策。
初期は重金主義(じゅうきんしゅぎ)、後には貿易差額主義(ぼうえきさがくしゅぎ)となった。
重金主義は金銀などの貴金属を国内に集め、国外への流出を制限した。
貿易差額主義は輸出を増やす一方で輸入を制限し、貿易黒字を増やそうとした。
17世紀にはイギリスやフランスが貿易差額主義を取ったが、18世紀にはアダム=スミスらによって批判されるようになった。

キャラコ禁止法
キャラコはインドのカリカットから輸出された綿織物。
17世紀に東インド会社によってイギリスに大量にもたらされていた。
それによって圧迫されたイギリス国内の毛織物業者らが反対して、1700年にはキャラコの輸入を制限する法令ができ、1720年には使用を禁止する法令ができた。
毛織物業者を保護する目的ではあったが、イギリス国内の綿織物業が盛んとなっていった。

七年戦争(しちねんせんそう)
1756年~1763年
オーストリア(ハプスブルク家)とプロイセンの戦争にヨーロッパ諸国が加わった。
長年対立していたハプスブルク家とフランスが同盟を結び(外交革命)、一方で英仏植民地戦争が続いていてイギリスはプロイセンを支援した。
同じ頃に英仏は、北アメリカではフレンチ=インディアン戦争、インドではプラッシーの戦いなどで戦った。
1763年、パリ条約が結ばれて、北米やインドでフランスが持っていた植民地や権益の多くをイギリスが得た。

ジェントリ(郷紳)
イギリスの地主。
貴族とヨーマン(独立自営農民)の間に位置した。
16世紀以降、政治的・社会的影響力を増していった。
資本家となった。

囲い込み(エンクロージャー)
共有の耕作地や放牧地を柵などで囲って私有地としてしまうこと。
第1次は16世紀頃のイギリスで領主が牧羊のために非合法に行なった。
第2次は18世紀から19世紀のイギリスで地主が合法的に行なった。
第2次の結果、農民は大農場の労働者や都市の工場の労働者となり、農業の資本主義化や産業革命が進んだ。

産業革命(さんぎょうかくめい)
18世紀後半のイギリスで始まった技術革新と機械製工業生産のこと。
綿糸を作る紡績業や綿織物業などから始まり、他の産業も工業化した。
資本家が資本を出して労働者を雇用することが進み、資本主義が発達していった。
19世紀には他の欧米諸国や日本に広がっていった。

機械制工業生産と蒸気機関
産業革命ではマニュファクチュア(工場制手工業)から工場制機械工業へと移行した。
それまでは人力だったが、動力や機械を用いた機械制工業生産(きかいせいこうぎょうせいさん)ができるようになった。
始めは水車などの水力だったが、18世紀後半にイギリスのワット蒸気機関(じょうききかん)を改良してからは蒸気機関が安定した動力となった。
均質で安価なものが大量生産されるようになった。
posted by 歴史教育研究 at 17:26| まとめ 18世紀のヨーロッパとアメリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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